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언론보도

후쿠시마 사고 당시 11소녀 100밀리시버트 피폭 은폐

관리자 | 조회 958 | 2019.01.31 13:50

국가연구기관 방사선의학종합연구소(방의연) 문서에 따르면 원전 사고 당시 인근에 거주했던 11세 여자아이가 폭발 사고 직후 받은 검사에서 100mSv 가량의 방사선에 피폭됐을 가능성이 있는 것으로 파악됐다.

갑상선암에 걸릴 정도의 많은 양으로 방사성 물질 중 하나인 '요오드131'이 치명적이다.

실제 1986년 체르노빌 원전 사고로 100mSv 이상 피폭된 이들 중 갑상선암 발병 비율이 높았다.  
일본 정부는 어린이 1000명이 100mSv의 방사능에 피폭됐을 때 2명 정도가 암에 걸린다고 보고 있으며, 당시 이 정도의 피폭 아동은 없었다고 주장했다.

하지만 해당 문서는 방의연 회의 내용으로 당시 후쿠시마현 직원이 원전 사고 발생 직후인 3월 17일께 피난소에서 간이 측정기로 11세 아동을 측정한 결과 방사능 수치가 5만~7만 cpm이었다.

방의연은 이 정도의 방사능 물질이 갑상선에 들어갔다면 100mSv의 방사능에 피폭됐을 가능성이 높은 것으로 판단했지만 당시 간이 기기를 사용해 검사한 것이라 신뢰성이 낮다며 공개하지 않았다.



http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019012190065749.html


11歳少女、100ミリシーベルト被ばく 福島事故直後 放医研で報告

東京電力福島第一原発事故の直後、福島県双葉町にいた十一歳の少女が、喉にある甲状腺に推計で一〇〇ミリシーベルト程度の被ばくをしたと報告されていたことが、国の研究機関・放射線医学総合研究所(放医研)の文書から分かった。一〇〇ミリシーベルトは国などの資料で放射線の影響でがんの発症が増加し得る目安として使われてきた。しかし、国はこれまで「一〇〇ミリシーベルトの子どもは確認していない」と発表し、この報告は伏せられていた。 (榊原崇仁)

 文書は、事故から二カ月後、二〇一一年五月二日の放医研の「朝の対策本部会議メモ」。本紙の情報開示請求で公開された。それによると、会議では、十一歳の少女の実測値が「頸部(けいぶ)5-7万cpm(GMで測定)」と示され、「取り込みが3日前として、甲状腺等価線量で100mSv程度」と報告があった。

 甲状腺は首の部分にあり、放射性ヨウ素が集まりやすい。国や福島県の公表資料には「がんのリスクは一〇〇ミリシーベルト未満で検出困難」「チェルノブイリ事故では一〇〇ミリシーベルト以上でがん発症」と記されている。

 メモや関連文書などによると、測定したのは県職員の放射線技師。県は事故直後から、避難者らの体についた放射性物質を調べ、除染する検査を実施しており、この技師は三月十三~十五日、派遣された同県郡山市の会場で、頭や衣服などの汚染を調べていた。検査機器として「GMサーベイメータ」が使われた。甲状腺の放射性ヨウ素の測定は通常、体内からの放射線を調べやすい「NaIサーベイメータ」を使うが、技師がいた検査会場にはなく、GMで代用したとみられる。

 記録も混乱の中で書き残されなかったが、結果は一一年四月、検査応援のために福島滞在中の徳島大の誉田(ほんだ)栄一教授と佐瀬卓也講師(現・核融合科学研究所准教授)に伝えられたという。

 佐瀬氏はサーベイメータで示された汚染の程度から、少女の甲状腺に取り込まれた放射線ヨウ素を「十数キロベクレル相当」と試算し、現地にいた放医研職員に連絡。この試算を基に、会議で「一〇〇ミリシーベルト」が報告されたとみられる。徳島大の二人によると、技師は「少女は爆発があった時、『(原発がある)双葉町にいて友だちと外で遊んでいた』と話していた」という。

 政府の原子力災害現地対策本部は一一年三月下旬、NaIを用いて十五歳以下の子どもの被ばく線量を測定し、すべて一〇〇ミリシーベルトの基準を下回ったと発表した。しかし、対象は避難や屋内退避が指示されなかった原発の三十キロ圏外の地域で、調べたのも千八十人のみ。事故当時、双葉町の少女らは、この測定から漏れた可能性が高い。

 放医研はこの値について「対策会議で出た情報を基にその場で簡易的に算出したもの。精密に検討しておらず、公表していない」とコメントしている。

<放射線医学総合研究所> 第五福竜丸事件を受けて1957年に設立。国の指針類では福島第一原発事故当時、「緊急被ばく医療体制の中心的機関」と位置付けられ、詳細な線量評価を担うほか、関係機関に対する助言や高度専門的な治療を行うと記されていた。所在地は千葉市稲毛区。

(東京新聞)





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